Ukiyo Portraits 2004~2012

カメラが現実をドキュメントする役目だなんて、私は信じない。
だた、私のイマジネーションとそこに居る人の物語を映像する役目でもありたい。全ての人々に大きな意味があり、その生き方に等身大でいる彼女たちへの尊敬の意味を込めて、私は写真を撮る事になる。
言葉や生き方が違くとも、見えない糸で私たちは繋がっているから、
そんな感情、心理を彼女たちから感じてほしい。

故ジグモンド⋅フロイト(心理学者)は患者を一対一でソファーに休ませ、
そこでの体勢、表情などから心理状態を分析、カウンセリングしたとされる。

私はいつしかプライベートな空間を舞台に撮る様になる。
その意味とは、横になる心理×相手はセラピーに成りうる。 なぜなら、上と下の中間に位置する“境目”、を浮遊できる可能性を感じられるからだ。この世が直立歩行で成り立つ間、この世の上が天で下が地である間、この世が明日を迎えられる日がある間、この世を制する者が制している間、その浮遊によって、私は一瞬でもこのはかなき世の中に逆える事を見いだす切っ掛けとしたい。それは私のセラピーでもある。無防備な状態で見える目のうつろや、髪の流れは夢うつつの休息にも伺える。

私の浮き世とはこの先、全ての人に死が待っているが今を楽しみ、全ての原理、上下左右を受け入れつつも、この変わりやすい世の中をも泳げる可能性を見いだしたい女性の柔軟な心理をウキヨに託す。

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